ラティーノブログ

「アンガモスの戦い」

ペルーの祝祭日カレンダーを見たらたまたま10月8日が休みだって事に気がつきました。

そしてこのお休みの名前は「アンガモスの戦いの日」とのこと。。。 
・・・・・。  な~んすか、アンガモスの戦いって!?!?
そう、一度気になってしまったら納得がいくまで調べてしまう自分は(笑)、「アナがモスの戦い」が
どういう戦いだったかを自己流に理解しブログにしちゃいました♪ 
(歴史がキライな人には悪いですが、これからず~っと歴史の話になります。。。)

今からさかのぼる事、約130年前チリとボリビアの関係は悪く、ドロドロな感じでした。
隣国ボリビアとペルーは、チリの国利に悪条件だった秘密条約があったことから、それの条約
破棄を迫ってチリは1879年4月6日にペルー・ボリビアに対して宣戦布告をしました。

チリは前から、硝石(火薬、ガラスの元)などが採れる当時ペルー領だったイキケ港を押さえておく
必要があると考えていました。
チリ側はこの時のために数年前から陸海軍の戦備を整えていたとの事。
(さすがチリ!今と同じで計画性がありますね~。。。)
話変わっちゃうんですけど、現在内陸国のボリビアはこの頃ちゃんと海に面している部分が
あったんです。。
そしてペルー、ボリビア、チリ3国の国境付近は交通困難な砂漠で鉄道も通っていないことから
この戦争は海軍がメインになりました。 
   
ちなみに、チリ海軍の主力は装甲艦2隻、ペルー海軍の主力も同じく装甲艦2隻でした。
(チリ側の方がやや新型系)

それから何回ものバトルが行われ、ぺルー海軍は最初勢いは良かったものの、だんだんと
チリ勢に押されてしまい、最後の海戦となったアンガモス岬での海戦では、10月8日未明に
至って遂にペルー艦隊が降伏しちゃいます。。。。
この海戦でペルーの英雄と言われているぺルー艦隊司令官のグラウ提督がこの世にAdios....(R.I.P)

今でもグラウ提督の乗っていた戦艦「ワスカル」は現在もチリ領のタルカウアノ港に展示されて
いるのだそうです。。。
ペルーではグラウ提督の勇敢に戦った功績をたとえ、通り名などにグラウ提督の名をつけました。
Grau_1.jpg
ペルーの英雄 グラウ提督↑↑


そしてペルーは戦争に負けたのにこの日を休日にしました。。。 
なんで?? 負けたのに祝うの?って感じですよね。。。 ペルー人ポジティブ!!

以上! 自分では理解した気がする感じなので今回はここまでにしま~す♪  
                                         アマゾン艦隊 ルーチョ提督

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