スタッフ

ペルー訪問はこれで4回目ペルーはお任せ熟練若手?スタッフM.S

旅行時期

2006年10月

ツアー詳細

ペルー・ インカハイライト9日間

◆1日目:空路 成田⇒リマへ◆
日本から米国を経由し、20数時間のフライトの末にようやく辿り着くペルーの首都リマ。
日本とペルーは地球の反対側にそれぞれ位置しており、気候も夏と冬とが逆になります。
リマに関して言えば、年間の平均気温が20度前後なので、いつ行っても暑くも寒くもない、すごしやすい気候が迎えてくれます。
また、リマは年間を通して雨が殆ど降らない都市でもあるのですが、これを如実に表しているのが空港周辺に建つ民家です。
外壁だけで屋根がありません。お金に余裕のない人達にしてみれば、雨が降らない=屋根はいらないのだそうです。

リマホルヘチャベス国際空港

◆2日目:リマ市内観光◆
リマを観光する際に訪れる地区は大きく分けて3つ、旧市街のセントロ、新市街のミラフローレスとサン・イシドロ。
旧市街は世界遺産にも登録されているだけあり、スペインの統治時代に建造された歴史的な建物を多数ご覧頂く事が出来るでしょう。
征服者フランシスコ・ピサロの邸宅として建てられた現在の大統領府や、ペルーで最も古いとされるカテドラルがその代表と言えます。
歴史を感じる旧市街とうってかわり、高級ブランドショップやレストランが軒を連ねるのが新市街。治安も良いため、観光客向けのホテルが集中しているのもこの地区です。

  • リマ市内:大統領官邸
  • リマ市内

◆3日目:空路リマ⇒クスコ 午後クスコ市内+近郊遺跡観光◆
インカ帝国の都だったクスコはリマから空路で約1時間。
飛行機を降りたった瞬間いきなり空気が変わります。
もちろん都会であるリマと街の作りが異なるのもそうですが、ここでは文字通り空気が変わります。
標高約3,400mの高地だけあり、酸素がうすいのです。
高山病を防ぐ為にも、慌てず、騒がず、ゆっくり行動する事を心がけて下さい。
十分な睡眠を取ること、水分をこまめに取る事も高山病の予防になります。
さらに高地では消化機能が低下するので、クスコに向かう日の朝食は控えめに。

  • ショッピング 赤茶色のアドベレンガのクスコの町並み

クスコではインカ時代の高度な石材建築技術を肌で感じる事が出来るでしょう。
何気ない町なかの壁や、足元の石畳など、インカ時代の遺産を現在のくらしの一部に融合させているのがこのクスコという街なのです。
当然この街にもスペイン人によって建てられた建造物が多く残っていますが、その多くがインカの石組みの上に建てられています。
石組みのあまりの頑丈さにスペイン人も破壊する事を諦め、結局はインカの石組みを土台にすることを決めたのだとか。
クスコに残るインカの石材建築で最も有名なものが”12角の石”。
現在の様に道具がある訳でもなく、石を切り出す事だけでも大変だったこの時代に、どのようにして12角の、しかも周囲の石との隙間には、カミソリの刃一枚すら通さないというほど精巧な加工を施すことが出来たのでしょうか? ただただ驚くばかりです。
実はこの”12角の石”の近くには、あまり知られていない”14角の石”もあるのです。
ひょっとするとまだ見つけられていない”16角の石”もあるかも知れません。
探してみては如何でしょうか。

ショッピング

カミソリの刃一枚すら通さないほどに精巧に作られたインカ時代の石組み・ロレトどおり

その他にもアルマス広場に面して建てられたカテドラルや、多くの金で装飾されていたと言うコリカンチャ(=太陽の神殿、現サント・ドミンゴ教会)も、クスコを訪れた際には欠かさずに観ておきたい場所です。

一方クスコの郊外では、サクサイワマン、ケンコー、プカ・プカラ、タンボ・マチャイと言う4つの遺跡をご覧頂く事が出来ます。 その昔要塞であったとされるサクサイワマンではその用途に恥じない巨大な石材建築をご覧頂く事が出来るでしょう。
また、ここでは毎年6月24日にインティ・ライミ(=太陽の祭り)が開催され、南米のみならず世界中からの旅行者で賑わいを見せます。
迫力満点のサクサイワマンとは対象的なのがタンボ・マチャイ。
沐浴場として建造されたこの場所には今もまだ水が流れ続け、聖なる泉とも呼ばれています。
流れ出る水の源は未だ分からず、乾季であっても水が枯れる事はないそうです。

ショッピング

クスコ市内・コリカンチャ、および近郊のサクサイワマン、タンボマチャイの遺跡

◆4日目:終日マチュピチュ遺跡観光◆
次はいよいよマチュピチュ。 ”ペルー=マチュピチュ”と言っても過言ではなく、世界遺産の中でもNo.1の人気を誇るこの場所へは、列車とバスを乗り継いで向かいます。
早朝のクスコを出発し、スイッチバックを繰り返して山を越え、一路マチュピチュへ。
途中の駅で2度ほど停まると、何処からともなく色鮮やかな織物や、巨大なトウモロコシをもったインディオさんが集まってきます。 トウモロコシの粒は100円玉くらい。
土産話しのネタに買ってみるのも面白いですが、日本のものと違って甘さはなく、味もほとんどしないので一人1本では飽きてくるでしょう。 2、3人で1本が適量かと。

早朝、朝靄のけむるクスコ駅から3時間30前後の列車の旅

切り立った山肌、遠くに見える雪山、聖なる川と呼ばれるウルバンバ川等々、素晴らしい景色に囲まれてようやく辿り着くマチュピチュ村。
ここで一度バスに乗り換え、曲がりくねった山道を移動すること約30分。
バスを降り、遺跡入り口の改札を抜け、坂道を歩いたその先に、ようやくその壮大な姿を見せてくれるのです。

マチュピチュ村の町並みとシャトルバス

謎に包まれたこの神秘的な遺跡を見た時、誰もがその感動に言葉を失ってしまうのではないでしょうか。
1911年7月24日、アメリカの学者であるハイラム・ビンガムが、クスコから遠く離れたこの地で、険しい山々に囲まれた尾根の頂きで草木に包まれる様にして眠る遺跡と巡り合いました。 奇跡とも言えるこの発見によって、マチュピチュが世界に知れ渡る事になったのです。
どの様にして総面積5km2もの巨大な遺跡を造ったのか?
その用途は? 神殿? 要塞? 様々な説が論じられているものの、未だその謎は解明されておりません。

マチュピチュについて語りだすときりがなく、太陽の神殿、王女の宮殿、陵墓、インティワタナ、コンドルの神殿等々見所も満載です。
当然インカの人々による高度な石材建築技術はここでも多く見られ、マチュピチュで最も高い場所に置かれたインティワタナはその代表的なもののひとつです。
ひとつの大きな岩を削って作られたこのインティワタナは、突き出た角柱の四つ角が正確に東西南北を指し示し、彼らはこの場所から見える太陽の位置を記録して暦を作り作物の種まきや収穫の時期を知るのに役立っていたのだそうです。
手先の技術だけでなく高度な知識をも持ち合わせていた事を証明しています。
また、彼らはコンドル、ピューマ、ヘビを未来・現在・過去の象徴とし、神様として崇拝していたのですが、ここマチュピチュでもそれを伺い知る事が出来ます。
コンドルは先に挙げた様に神殿が設けられ、地面にコンドルをかたどった石が埋め込まれています。
つい足元の石だけに目がいってしまいますが、後にそびえる大きな岩も含めてよく見るとコンドルがその翼を大きく広げている姿が浮かんできます。
あたかも空を飛んでいる様です。
3つ窓の神殿と呼ばれる場所に刻まれているのがヘビ。
ではピューマは何処に居るのでしょう?? 神殿もなく、石に刻まれている訳でもない。
実はこのマチュピチュそのものがピューマの姿をかたどっているのだそうです。
何ともスケールの大きな話ですね。

ペルーのハイライト マチュピチュ遺跡の絶景!(イメージ)

まだまだお話は尽きませんが、あとは直接マチュピチュを訪ね、是非ご自身の眼で確かめて下さい。 なお、遺跡の出入り口付近では、マチュピチュのスタンプがあったり入場証明書を販売しているので、思い出の品として良いのでは。

マチュピチュで歩き疲れた身体に、帰りの列車の心地よい揺れが睡魔を誘います。
でも、何とかクスコに到着する前に起きて下さい。 何故ならクスコの夜景もまた素晴らしいのです。
色とりどりのネオンはひとつもありませんが、オレンジ色ただ一色のみで照らされたアドベレンガ造りの町並みが、我々を優しく街に迎え入れてくれます。

  • マチュピチュ遺跡入場証明書
  • 帰路列車からのクスコの夜景(イメージ

◆5日目:陸路クスコ⇒プーノへ移動◆
汽船が航行している湖として最も標高の高い場所にあるのがチチカカ湖。
標高3,800mを超える高地に、琵琶湖の約12倍もの広さを持つ湖が広がります。
観光の拠点となるプーノへは、通常クスコからバス(所要約7時間)もしくは列車(所要約10時間)を利用して移動します。 いずれも長時間の移動を要するので、車窓から見えるアンデスの景色をご覧頂きながら、慣れない高地で弱った体をゆっくり休めてあげて下さい。

  • クスコ⇒プーノ間の移動バス
  • 途中立ち寄る遺跡

チチカカ湖ではトトラ(葦)でできた浮島に住むウル族を訪問します。
トトラでできた島を総称して”ウロス島”と呼び、大小様々なウロス島が存在します。
住居は勿論、学校や教会も浮いているから驚きです。
このトトラ、浮島や住居の材料になるだけでなく、湖上での移動手段となる船もトトラで出来ています。
編めばロープになり、加工して民芸品にもなる。さらには食べる事も出来るのです。
その上島の土台として利用されたトトラは次第に腐り、湖底にしずんで土に還る事で新しいトトラの栄養分になる。
まさに究極のエコとも言える存在がトトラなのです。

話は変わりますが、このウロス島では旅行者が子供達にあげるチョコや飴といったお菓子が問題となっており、これが原因で虫歯になる子供が増えています。
島には医者はおらず、通院させるだけの経済的な余裕もないため、結局子供達が辛い思いをしています。
お土産をお持ちいただくことをお考えの方は、プーノの桟橋周辺で売っている文房具やフルーツなどがお勧めです。

プーノから空港のあるフリアカまで移動する途中にシユスタニ遺跡があります。
ここにはインカ時代よりも前に造られた墳墓(チュルパ)群が今なお残り、一部は地震で崩れてしまったものの、高さ約12mの巨大な墳墓は未だ健在です。
何度切っても尻尾が生えてくる事から、再生の象徴としてトカゲの彫刻が側面に施されており、”いずれまた生まれかわるように”という想いが込められているのだとか。

ここまで慣れない高地で苦しんだ体も、リマに着いたとたんに元気になります。
毎日のように酸素ボンベのお世話になった方でも、それまでが嘘の様に元気になるから不思議です。

  • 芦でできた浮島ウロス島
  • シユスタニ遺跡の巨石墳墓

◆7日目:終日 ナスカの地上絵遊覧飛行ツアー◆
ツアーの最後を飾るのはマチュピチュと並びペルーを代表する世界遺産ナスカの地上絵ナスカの地上絵と聞いて、すぐにコンドルやハチドリの絵を思い描ける方も少なくないのでは。
もちろんナスカの地上絵はこれだけにとどまらず、サル、クモ、クジラ、ペリカン、極めつけは宇宙人まで、バラエティーに富んだ絵が約30、その他に300を超える幾何学模様が広大な平原に所狭しと刻まれています。
1500年~2000年程前に描かれたというこの地上絵は、雨がほとんど降らないこの地域の天候に助けられ、現在もこうしてその姿を残しているのです。
地上絵は小型のセスナ機からご覧頂くため、乗り物酔いをしやすい方は搭乗前に酔い止めを服用して下さい。
セスナ機は両側に窓がある為、ついつい左右の窓に目がいってしまいがちですが、片側の窓のみに集中し、移動時はなるべく遠くを見ている事が酔わないポイント。
心配しなくても左右どちらの窓からでも地上絵が観れる様上空を旋回してくれます。
とは言えこれがセスナで酔う最大の原因なんですが…。
フライト中はパイロットがガイドを兼任してくれますが、年間の総利用者数の数割を占めるのが日本人と言うだけあり、”コンドル右!!”、”サル左!!”、”宇宙人山のうえ!!”と片言ではあるものの日本語で案内してくれたり、皆のノリが良いとおまけの旋回をしてくれたりと、なかなかサービス精神旺盛です。 ただ有り難いか迷惑かは体調次第ですね。
時間に余裕のない方はリマから飛行機とセスナを乗り継いで観光するのが一般的ですが、時間に余裕のある方はナスカの町まで行って、地上の展望台からご覧頂くのもお勧めです。
空と地上の両方から見てこそナスカを制覇したと言えるでしょう。

  • これが宇宙人!
  • 遊覧飛行セスナ機

◆7日目:深夜発のフライトにて帰国の途へ◆

◆9日目:成田着(お疲れ様でした!)◆
遺跡あり、地上絵あり、アンデスの山岳風景に砂漠地帯などなど、まるで異なる顔を幾つも持っている国ペルー。 長々と書いてみたものの、その魅力の一部でも感じて頂けましたでしょうか?? 日本から遠く離れ、何度も行く事が出来ないからこそ、その限られた機会を是非我々にお手伝いさせて頂けたら幸いです。
最後までお付き合い頂きまして誠に有難うございました。